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アメリカ-教育

落ちこぼれゼロ法と大阪教育基本法、テクノロジーと教育、

2012年8月25日 (土)

小さい子どものお勉強にはこれが一番

今月発行のChildhood Research Quarterly誌に発表された論文から、The New York Timesでも紹介された記事と合わせて、ここにご紹介します。

子どもの勉強に熱心な親ほど、子どもの小さいうちから読みの訓練をしたり、フラッシュカード(単語カード)を使ったり、言語テープを聞かせたりして、子どもの脳の発達を促そうと試みるものですが、これまで発表されてきた数々の研究がお勧めするのは、実は古典的な子どもの遊びである、という報告です。

例えば、氷オニや、色オニ、高たかオニ、だるまさんが転んだ、などの指示に瞬時に従って 動く遊びが特に良いようで、子どもの注意力、記憶力、ワーキングメモリ、臨機応変性、自己コントロール能力などを発達させ、それが後の勉強の能力へも影響するというのです。

特に、シンプルなルールから始めて、だんだんひねりを入れたり、ルールを逆にするなど複雑にしていく遊びが脳に良いというのですが、これは子どもは自分たちで勝手にそうしていますね。

大人の思い描く勉強というと、つい何か知識を覚えるという「情報の習得」へと目が行きがちになるものですが、小さな子どもにとって大事なのは、「the how of learning」(学習の方法)を身に付けることだ、と研究者は言います。つまり、新しい情報に注意を向ける、それを覚える、という行為そのものをできる力がまず必要だということですね。

過去の研究では、古典的な遊びを上手に出来る子は後に読みや算数を上手にするようになるとか、自己コントロール能力の弱い幼児に古典的な遊びをさせることで、自己コントロール能力が向上した、という報告もあります。(もともと頭の良い子だから遊びも上手にできるということのみならず、遊びを通して学習に必要な能力を培うことができる、ということを示唆しています。)

今回発表された研究では、430人の幼児を25歳まで追跡研究しているのですが(これはかなり大規模な研究です)、幼児期のどのようなスキルが後の大学での成功に最も貢献しているかを調べました。それによると、4歳の時点での遊びで得られた注意力や、何か(遊びでも作業でも)を最後までを終わらせる力が、25歳時点で大学を卒業できているかどうかに最も大きく貢献したファクターだったというのです。統計的に有意な結果ということは、それが偶然によるものや、サンプル人口の偏りによるものではない、ということを示しています。



The New York Timesにはこのような挿絵?が付けられていました。こんな遊びがお勧めということです。

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幼稚園で誰もが一度はやったことのある遊びですね
(o^-^o)

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2012年8月18日 (土)

教師の質と給料について

先日、日本で教師をしている友人と話していて、気になったことがありました。

それは、友人の「教師の給料を下げることに賛成」という発言です。

友人自身が教師という立場なので、ある意味肝の据わった発言ですが、理由を聞いてみると、給料に見合った仕事をしているとは思えない教師が多すぎる、ということでした。

新しい知識を学ぼうと努力するわけでもなく、仕事もあまりできないのに、妙に自分の教え方には自信を持っていたり、プライドが高く、今後の成長も望めないようなタイプが結構多いのだそうです(言っていることが分からなくはないですね…
 )。

ただ、私が気になったのは、「教師の質を上げなければならない」ということ(質の低い教師をどうしていくかということ)と、「一律に給料を下げる」ということが、2つの全く異なる議論を殆ど無闇に結び付けているように思える点です。

給料を下げるということが、果たして問題の解決として正しいのかどうか…。(教師を弁護しているわけではなく、客観的に考えて。)

給料を下げれば、教師の質は上がるのでしょうか?


と言うのも、アメリカでは、教師の給料が低いことが、教師の質の低さと直結しているということが長年問題になっているからです。


これは、給料の低さと職業のステイタスやイメージが結びついてしまうせいです。

社会においては一般的に(特にアメリカ社会においては)、給料の額とその仕事の社会への重要さ、貢献度、イメージやステイタスの良さはかなり直接的に結びついていて、そのイメージが間接的なメッセージとなって子どもや青少年へと届き、教師に必要な能力やスキルを得ることができそうな人材が、教師になる道を選びにくい(選ばない)現状があるわけです。

(本当は、教師というのは、かーなーり高度な能力とスキルが必要です。これは特別支援の教師でも然りです。)


もちろん、ステイタスや給料だけで「なりたいもの」を決める人ばかりではないし、中には、かなり賢くて素晴らしい人材が「自分のやりたいことだから」と、教師を目指して大学へ入ってくることもあります。(ただしこれはかなり少数派。)


もし今、日本で教師の給料を下げれば、教師の質の低さはあっと言う間に地の底へと転落していく可能性もあります。(アメリカの後を追うことになるかも・・・)


ただ、教師の質を上げなければならない、というのは私も大賛成です。


そのためにまず、友人の言うような給料に見合った仕事をしているとは思えない教師を特定して、それからどうしていくか、という議論が必要だと思います。

また、その特定の際に、教師の評価を多面的に行う必要がある、というのは研究でも証明されている点です。

全国一斉学力テストの点数では、教師の本当のスキルは測りかねます。(しかも、学力テストのみでは教師の力を測る道具として不適切であることは、以前の記事でも書いたとおりです)

では、どのような多面的な評価が研究によって推奨されているか、と言うと・・・、

-同僚からの無記名の評価
-保護者&子どもからの無記名の評価
-第3者の授業観察による評価(全く面識の無い教師同士が観察しあう、とか、地域の人が観察する、など、メンバーに多様性を持たせて)
-子どもの学びの絶対評価をサンプリングする(統計的にランダムに見本を抜き出す)

などなどがあります。

これと平行して、教員採用試験も見直していく必要があると思います。


こうした評価で教師として疑問視されるようなケースをどうしていくか、というのを書くと長くなるので、今日はやめます。

(仕事のできない人を片っ端から切っていくことだけが、解決法にはならない、ということと[切っても切っても出てくる原則がある]、そうした人をある程度抱えながら、それでも全ての生徒にある程度平等なレベルの教育を与えるということを考えなければならないからです。)

先にあげた友人とも、このことでついつい長話をしてしまいました。

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2012年7月30日 (月)

アメリカの大学で教えると

アメリカの大学で教えると、学期末に生徒から無記名でクラスの評価を付けてもらわなければなりません。

例えば、

教師?(インストラクター)の知識は十分あったか?
インストラクターの教え方は効果的だったか?
インストラクターはあなたが最大限学べるようにサポートしてくれたか?
クラスの目的は明確に示されていたか?
宿題はクラスの学習に意味のあるものだったか?
成績の基準は明確に示されていたか?

などなど…

10項目に渡って、5段階で評価してもらうのです。
この頃はたいていオンラインでするようになっていて、その評価は大学側へ直接通告?されます。

成績をつける前にこれをしてもらい、成績を大学へ提出して初めて学生の評価が私へと開示される仕組みになっているので、これによって成績が左右されたりすることがないように細心の注意が払われています。

少なくとも私が大学生だった頃は、日本ではこんなことはなかったと思いますが、この頃は導入されていたりするのでしょうか?(分かりません)。

これが結構ドキドキするんですよね…。

この評価は博士課程を終えて職探しをする時にも影響しますし、来学期クラスを教える仕事をもらえるかどうかにも影響してくるので、適当にはしていられません。

その上、教育系の学科では、「クラスでどう教えるか」を教えているので、その教えている本人の教え方がなっていないと、こいつどうなんやろ…と全体の説得力が落ちてしまうのも辛いところです。

例えば、クラスで子どもが授業から逸脱し始めたらどうするか、と教えている間に、大学生が授業から逸脱していて、なすすべがない、というのはおかしいですよね。(←アメリカではよくある光景ですが…。)

なので、毎回授業の準備は割りときっちりとしておかなければなりません。

授業は1コマ3時間の長丁場なので、どんなにモチベーションのある学生でも、座ってただ話しを聞いているだけではそのうちだれてきて(話している私だってだれる長さ)、すぐにフェイスブックを始めてしまいます。(一応フェイスブックは不可というルールはあるのですが、そんなルールは、はっきり言って効き目ゼロ!
まあねえ…

なので、ノートパソコンの持ち込みを不可にする教授もいますが、私は可にする派です。
(授業でノートパソコンを使わせるようなアクティビティもよくするので。)
これもどうするか迷うんですが、大学生くらいになると、自分の学びには自分で責任を取ってくれればいいかな、と思ってしまいます。ここで学ばなければ、後で困るかもしれないのは本人だし(別段困らないかもしれないし)、興味があれば聴くだろうし、周りの邪魔になってなければいいか…と。

アメリカでは、この辺りの考え方が結構違っています。もともと大学入試が無いに等しいので、大学で思いっきり厳しく締め上げて?おかないと、誰でも彼でも卒業できてしまうので、かーなーり厳しくして、それについてこれない奴は落としていく感じになっています。

特に教師の質が相当低くて問題になっているアメリカでは、誰でも彼でも教師になれたら困るわけです。

日本の大学しか知らない私にとっては、大学で学んだことって、授業そのものよりはむしろ大学の外で経験したことからだったな~
、くらいに思っているので、その辺りアメリカの現実をしっかり意識しておかないと、ついつい、緩くなってしまいます。

でもですよ、教えていて思うのは、要所要所で生徒が参加するポイントを設けて、生徒がつい考えたくなるような質問を用意しておくと、最初は開いていたノートパソコンも、クラスが進むにつれ閉じてくるんです!


授業が面白ければ、ルールは少なくても学生は耳を傾けます。


とは言っても…、
日によってはどうしても大して面白くないトピックについて教えなければならない時もあって、そんな時は半ばあきらめモードになります…。



去年教えたクラスの評価表を見ながら、今年の改善点を考えていたら(主に宿題の数についての苦情ですが)、どこまで厳しくしたものやら、またまた迷いが出てきてしまいました…。

学生のコメントには、宿題があまりに多すぎて、内容を学ぶというよりは、数をこなす方に重点が行き、結局頭に残っていなかったように思うというのがいくつかありました。これって、成績をつけていた私も感じていたことです。その場しのぎのやっつけ仕事が目に付くので、こんなの意味あるんかね?と。

今年は私の裁量で宿題を変えてよいということなので、必要な知識を得られるような宿題を用意しつつ、学びの質は落とさないようにするには、(しかも今回は完全オンラインクラスで、しかも5週間の短さで…)またまた準備をほぼ一からしなければならないかも…。

量より質とは言え、ある程度の量も必要だし…

世の中、本当に分からないことばかりですね…。


そもそも大学教育ってなんだ~っけ、なんだ~っけ、


うまい醤油のあるうちさ?


しょうゆうことじゃないですよね…。

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2012年5月19日 (土)

ゲームを教育に?

3年前に作られたNY市の私立学校(Quest2Learnと言う学校)の動画です。

ゲームと教育を融合するというコンセプトのもと立ち上げられた学校だそうですが、多くの生徒がLD(学習障害)を持っており、ゲームや身体を使った学びを提供することで学習を進めていくことを実践しているそうです。


ビデオで話をしている教師によると、「教育にゲームを、と言うと、テレビを見せる教育のように、つい生徒が受身になるもの、と思われがちですが、この学校で取り入れているものは違います。」


「生徒はゲームを作る側に回り、試行錯誤を繰り返し、自分で考えながら学ぶのです。」


またゲームを教育に、と言うと、一人ひとりの生徒がそれぞれのノートパソコンに向かって没頭する図が浮かびますが、この学校では、身体を動かし、生徒同士の交流を測りながらの学習になるように意図的に授業案を用意しているそうです。


昨日、ハイテクVSノーテク
教育の記事を書いたので、その関連でこんな例も取り上げてみました。


ハイテク教育と一言に言っても、色々なあり方があるんですね…。


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2012年5月18日 (金)

ハイテク教育VSノーテク教育

ワシントンポストに、こんな記事を見かけました。

High-tech vs. no-tech: D.C. area schools take opposite approaches to education

訳すと「ハイテク VS ノーテク:教育に異なるアプローチを用いるワシントンDCの学校」といった感じでしょうか。



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(写真はノーテクの学校からのひとこま)


記事の本文はこちら


この記事に取り上げられているのは、二つの近接している私立校です。


一方は、Wi-Fi完備、幼稚部からiPadを全生徒に配布し、小学校ではMacBookを全生徒が使用しています。
音楽の時間はiMovieを使って音を鳴らし、感想文はツイッターで書きます。


もう一方の学校は、全くテクノロジーを使わないことをモットーとし、畑で野菜を育てたり、身の回りにある色々なものを使って実際に実験、体験することで学んでいく方法を取り入れています。
勿論、感想文はノートに手書きします。(高校になるまで、手書きで一貫しています。)

ハイテクを取り入れている学校(Flint Hill School)の教師はこう信じています、

Technology immersion will make their students more excited about learning and better prepared for college and careers.

「テクノロジーを使用することは子ども達の学びをより刺激するし、大学や(卒業後の)キャリアへのより良い準備になります。」


ハイテクの方の主任教師の言葉です:

“Tech is like oxygen, it’s all around us, so why wouldn’t we try to get our children started early?”

「テクノロジーは酸素のようなものです、私達をとり囲んでいる。それならどうして子ども達に早い段階で(テクノロジーを使い)始めさせないのか?」


ノーテクの方の学校(Washington Waldorf School)の教師は、テクノロジーは気を散らすもので、子ども達を必要以上に興奮させる、と考えます。
教育は現実の経験を通して行われるのが一番で、インターネットやウィキペディアの情報が、子ども達のオリジナルの考えを邪魔する、と考えています。



ハイテク教育VSノーテク教育の、子どもに対する影響に関する研究は色々ありますが、答えはバラバラで、今のところどちらがより良いか(またはより悪いか)を決める決定的証拠はないようです。(どちらも長短ある、ということですね)



いくつかの研究は、スマートフォンのアプリケーションなどを小さい頃から子どもが使用した場合、ボキャブラリーや数学の知識が増える、という結果を発表しています。
また、テクノロジーを学校に導入することで、個別に会った授業の実現ができる、という研究もあります。


一方で、テクノロジーの使用は、子どもの注意力を短くする、という研究結果や、学校でのテクノロジーの使用はスペルや手書きの能力を身に付ける機会を奪う、と指摘する研究もあります。

手書きやスペルの能力が、将来仕事をする時に重要ではなくなってきているとは言え、手書きをしながらスペルを学ぶという過程が、子どもの脳の発達に必要である、という研究もあります。


これから、テクノロジーはどんどん学校現場へ入ってくると思われます。


テクノロジーをどう教育に(子どもに)使うか(使わせるか)、これからも色々な研究結果が出てくると思われますが…、この先どのような方へ向かっていくのか気になりますね…。


最後にハーバード大学の「子どものメディアと健康センター」所長の
Michael Richさんの言葉をここに

“We have to stop and think if we are embracing technology just because it is there and new or if it is the best tool for what we want to accomplish.Sometimes the answer is that an iPad is great, but does it really do a better job than a hunk of clay or paper?”

「私達がテクノロジーを喜んで取り入れるのは、(ただ単に)それが新しいものでそこにあるからか、それともそれが私達の達成したいことのために最善の道具であるからか、立ち止まって考えなければなりません。その答えは時にこうなります、iPadは素晴らしい、けれど、それは本当に粘土のかたまりや紙よりも良い仕事をするだろうか?」



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2012年5月10日 (木)

大阪府教育基本条例とアメリカのNCLB(落ちこぼれゼロ法)は似ている?

少し前から話題になっていた
大阪府の教育基本条例が
教育行政基本条例と府立学校条例の
2本立てとなって可決・成立し
41日の執行から一ヶ月が経ちました。


アメリカで教育に関わる研究者の卵として
また、渡米前は大阪で教師をしていた元教員として

この条例の動向はとても気になっていました。


この条例、メディアや他のブログで
アメリカで長年問題となっているNCLBとよく比較されています。


NCLB(No Child Left Behind)と言うのは
日本語では「落ちこぼれゼロ法」と訳されているようですが、
ブッシュ政権の犯した沢山の間違いの一つと言われ、
教育、教員の質を向上するどころか
地域間の格差を広げ
多くの問題を残しました。

(この問題について書くと長くなるので、また次の機会に回します。)


Nclb_2


そして今オバマ政権が修正に取り組んでいる問題です。


大阪府教育行政基本条例と府立学校条例を読んでみると
法の書き方も日本らしいというか
遠まわしな表現が多く、
具体的にどのように、と言うのが欠けていて
実際NCLBとどこまで類似しているのか見分けにくかったのですが、

(それとも私の読んだものが概要で
どこかにもっとながーい本文があるのかもしれません。
本文のリンクを知っている方がいればお教えください。)


その条例によって教師のaccountabilityを追求しようとしている点は似ています。

NCLBの目玉は “accountability”にあります。
これをどう日本語に訳すとしっくりくるのか分かりにくいのですが、
教師や学校の教育者・教育機関としての「責任」と言うか
「目に見える結果を出せ」
「出さなければ、それ相応の待遇を与える」
という感じですね。


問題はその「結果」の定め方の不確かさと
「結果の測り方」の不確かさ、妥当性の不確かさにあります。


まず、評価に用いるHigh-stakes test(日本語訳が分かりませんが、一斉学力テストかな?)じたいも
信頼性と妥当性の問題が指摘されています。


信頼性というのは、一貫性や安定性を指します。

例えば、体重計に続けて何度ものっても、
そのたびいつも同じ数字を示せば、それは信頼性があると言えます。
(その数字がいつも間違った数字を示したとしてもです)


妥当性というのは、測りたいものとそれを測るための方法が一致していることを指します。
例えば、身長を測るのに体重計しかない場合、
体重を量ることで沢山いる人の身長の高低を決めることが不可能ではないが
その結果が必ずしも正しいわけではない時、
妥当性に欠けると言います。

 

一斉学力テストがこの信頼性と妥当性の両方に問題があることは
いくつかの研究が証明しています。


つまり一斉学力テストが
生徒の本当の学びを評価する道具としても
教師の本当の教育を評価する道具としても
適切ではない、と言うことです。


それから、そもそも教育基準(academic standard)の決め方が妥当か、
基準じたいの妥当性も不明なままです。

 

大阪の教育行政基本条例と府立学校条例でも
教員の勤務成績の評定について定めていますが、
評価の方法の妥当性、信頼性、
評価する側の評価も不明なままのように思います。


教員の質を上げることは大事というのは賛成ですが、
その質の評価の仕方が間違っているというのが気になります。

 

NCLBに関して書くと、
言いたいことがありすぎてつい長くなってしまいますね…。
またいずれ、NCLBと大阪の条例をしっかり比較してみたいと思います。

 

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