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2014年8月14日 (木)

佐世保高1女子殺害事件―サイコパスについて

Psychopath(サイコパス)または Sociopath(ソシオパス)と呼ばれる人々がいます。日本語訳では、サイコパスが精神病質者、ソシオパスが反社会的人間となるようですが、いわゆる精神疾患の一つです(でも、あまりに多岐にわたる症状を含むことからDSMなどに明確な分類がなく、人格障害に組み入れられています)。


サイコパスとソシオパス、この二つの言葉は同義語として用いられることが多いのですが、良心や道徳心などに欠け、罪の意識や他人への共鳴性、共感性に欠けている精神状態にある人のことを指します。


また、共感性・共鳴性の欠如に伴って、嫌悪感も欠如している場合が多く、人が目を背けてしまうような場面や物を平然と見られるのも特徴です。


一般的に、既に犯罪を犯してしまった人のことをサイコパス、この疾患を持ちながら社会的に一線を越えずに生活している人のことをソシオパスと言う事が多いようです。


他にサイコパスの人の特徴として、とても頭が良く、カリスマ的で、普通に会うと、まさかこの人が殺人を犯すとは思いもよらないような人であることが多いようです。


これまでの研究によって、サイコパスまたはソシオパスが脳機能に起因していることが証明されてきました。


Ventromedial prefrontal cortex (vmPFC)―(腹内側前頭前野)という共感性やモラル、自己抑制力に関わる部分の右側鉤状束の構造的整合性が少ない、前方側頭葉とvmPFCの間にある白質の接続が弱い状態にあること、また、vmPFCと偏桃体、vmPFCと内側頭頂皮質の接続が低いことも証明されています。


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(画像引用:Motzkin, J. C., Newman, J. P., Kiehl, K. A., & Koenigs, M. (2011) The Journal of Neuroscience, 31,(48), 17348-57)


vmPFCというのはここ↘

Ventromedial_prefrontal_cortex_2

それらの接続が低いと、負の刺激に伴う負の感情への変換が行われにくくなります。


これは、サイコパスの人と、サイコパスではない犯罪者とで比較した時にも、サイコパスの人にのみこの状態が顕著に表れます。


これはサイコパスの人特有の、社会一般的に悪いとされることをしているところを目撃されても、バツが悪そうにしたり、恥ずかしそうにしない行動によく現れています。また、他人の痛みに共鳴・共感することもないので(例えばホラー映画の残虐なシーンでつい目を背けるのは、他人の痛みに対して共鳴しているためですが、そういう感覚がないので)、反省の感情も基本的にはありません。反省を示すことが自分に有利だとか、社会的に求められているということを理解して反省の弁を口に出すことはあっても、感情の上で申し訳なかった…と思うことはありません。


サイコパスが、環境によってつくられるのか、生まれつきのものなのかを調べたミネソタ大学の有名な一卵性双生児の研究によると、サイコパス的問題行動は環境よりは生まれつきのもの、遺伝によるという報告があります。逆に、ソシオパスの傾向を持たない子どもの反社会的行動は、環境要因に影響されるとも報告されています。


ただ、ソシオパスで生まれた人が全員サイコパスになるわけではありません。ソシオパスの脳状態を持って生まれても、全員が全員、一線を越えるわけではありません。


しかし、多くの研究があるにも関わらず、ピンポイントでどのような遺伝&環境要因がソシオパスをサイコパスにするのか、まだはっきりとわかっていません。幼少期に受けた虐待経験やネグレクトなどによるという報告もありますが、これも100%ではありません。


また、幼少期に、普通では考えられないようなレベルの暴力を経験したり(戦争・紛争のある地域で育つなど)は、ソシオパスがサイコパスになる最も確実な要因だとも言われています。


歴史上、凶悪犯罪を犯したサイコパスの人の多くが(Ted BundyJeff DahmerDennis Raderなど)、愛のある暖かい家庭に育っていることをみても、何が一線を越える要因になるのか、まだまだ分からない点が多いです。ただ、サイコパスになる人は、非常に幼い頃から何かしら、残虐な行動のサインを出しているようです。


 

自らサイコパスの脳の研究に携わる研究者、ジェームズ・ファーロン氏が、コントロールグループ(比較対象として研究に参加するグループ)として家族の脳のPETスキャン画像を提供していたところ、偶然にも自分の脳がソシオパスの状態であることを発見したという有名な話があります。


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実は、家系をさかのぼると、過去にサイコパスの人が7人もいるそうで(有名なLizzie Bordenもその一人)、自分自身、幼い頃から権力や人を操ることへの強い固執があることを知っており、異様に競争に勝つことに執着し、人を不愉快にさせることを平気でしてきた、と語っています。ただ、彼の場合、人を身体的に傷つけるのではなく、議論で打ち負かせることで心理的に傷つけることで快感を得ていたのだそうです。


ファーロン氏はこれをもとに本を出版し、TEDでもスピーチしていますが、もし興味のある方は、スピーチを見てみてください(6分半で短いです)。遺伝的要因と環境要因についても端的に話されています。TEDのスピーチはこちらのリンクから見られます:

Exploring the mind of a Killer (殺人者の心を探る)という題名のスピーチです。


なぜ彼は人殺しにならなかったのか?

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ファーロン氏によると、両親に愛された家庭環境が大きいのではないか、ということです。


その後の研究でも、サイコパスに関わるVentromedial prefrontal cortex (vmPFC) の発達を左右するアレルが、環境の影響をより強く受けるようにしている可能性も指摘されており、ソシオパスの人ほど子ども時代の環境に強く影響される可能性があるようです。


ファーロン氏は、自分がソシオパスだと発見したことで、逆に自分自身の行動を変えようと決め、いつも人の気持ちを考え、正しいことをするようになった、と言います。

けれどそれは、彼自身が突然良い人間になったからではなく、自分のプライドのため、ソシオパスでもこれほど素晴らしい人間になれることを人や自分自身に見せるためだ、とも付け加えています。

 

彼のこの発言は、ソシオパスに対する療法の可能性を示唆しているように思います。

 

ちなみに、ソシオパスの人に対して効果的な治療法(と言うか、治療して治るものではないので、治療と言うよりは、行動の変化を促す療法)に関する研究も数多くありますが、未だ、決定的に効果的な方法がどれかはっきりとは分かっていません。


分かっているのは、サイコパスの人には、サイコセラピー(心理療法)は効果がないということです。これは当然という気もします。言ってみれば、全聾(全く耳が聞こえない)人に音楽療法をするのと同じことです。リズムやダンス的な音楽療法が聾の人を対象にありえなくはないですが、完全な聾の人に音を聞くということに特化した療法を行うことと、サイコパスの人にサイコセラピーを行うことは似ています。


また、罰を与えることで行動に変化を促すのもあまり効果がないようです(これは研究によってまちまちで、学校などでは効果がある場合もある)。例えば、動物を殺したから食事抜き!と言うようなことをしても、その衝動をコントロールできるようにはならないということです。罰をあまり苦に思わない傾向も、罰を与えることの無意味さに繋がっています。


どちらかと言うと、認知行動療法のようなものの方が効果があるようです。ファーロン氏のように動機は何であれ、自分自身で状況を把握して自発的に行動を変えていくことも可能だと思います。


近くにいる子どもがソシオパスだと思わせる行動を取っていたら(特に重大な事件になる前に、動物を殺して解体するなどの行動がみられる)、頭ごなしに忌み嫌ったり、そんなことをしてはだめだと言うだけで放置してはいけません。


また、問題行動を謝らせるだけでも意味がありません。(そもそも反省の気持ちを感じることが難しいため。)むしろそのような行動を取りたい衝動に駆られた時に、別の行動に置き換えてやり過ごせる習慣を教えて、身につけさせなければ、問題行動は次第に深刻になっていきます。


理論的にその子の行動を変えていくアドバイスを端的にできる行動療法士(ほとんどコーチのような人)が必要になります。(ドラマ「デクスター」の継父のような人ですね。)


先にも挙げたように、ソシオパスの人はとても賢く、人を操るのに長けているので、セラピストにもそれなりのスキルが必要になりますが、早期発見、早期対策が鍵だと多くの研究者が繰り返しています。


佐世保の事件が報道された時に、「命の授業にあれほど力を入れていたのにこの結果…」というようなことがよく記事に書かれていましたが、サイコパスの人には、一般的な「命の授業」のようなものも効果がありません。感情に働きかけるようなアプローチではなく、あくまで理論的なアプローチの方がまだ効果があります。


今後、より具体的な療法の仕方を立証していく必要と、スキルのある療法士を育成していく必要があります。教師や親だけで、最悪の事態を回避するのはとても難しいです。


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2013年7月17日 (水)

世界中が猛暑―温暖化の原因は…?

今年は世界各地で猛暑のようです。


アメリカの南西部では、観測史上最高となるセ氏40度台が続き、ついにはカリフォルニアのデスバレーでセ氏53度という信じられない高温までが叩き出されました。


まさにデスバレー…coldsweats02  まぁ砂漠なので日中の気温が上がるのは当然ですが。


それに加えて、アリゾナ州では乾燥した空気の中で落雷が多発し、森林火災が発生して消火にあたった消防士が大勢亡くなりました。


インドでも大雨に誘引された大洪水で大きな被害が出ました。


ここアメリカ東部も、連日落雷を伴うゲリラ豪雨に見舞われ(雨が降らず水不足になることの多い夏に、これだけ毎日大雨が降るというのは珍しい)、遂にはノースカロライナで初めて地すべりが発生したりもしました。


日本でも今年はゲリラ豪雨が多発して、いろいろな被害が出ています…。


温暖化が叫ばれて久しいですが、ここまで来ると実感として「これはさすがに暑すぎやしませんかgawksweat01」と、ふと立ち止まって考えてしまいますね。


そんな折、

今年の5月に発表された論文(過去に発表された数々の論文をまとめて考察したもの)で、気候変動―特に温暖化は、ほぼ人間の活動によって引き起こされている、という結論が出されました。


過去に、世界中の科学雑誌に発表された12,000本の論文を考察したところ、気候変動について研究した論文は全体の3割を占め、そのうち98%の研究が、人間の活動(特に燃料を燃やす活動)が温暖化へ影響を及ぼしていると伝えているのだそうです。


ところが興味深いのは、
ジョージメイソン大学の気候変動コミュニケーションセンターのMaibach氏の行ったアンケート調査によると、一般の人は、温暖化の原因は諸説あって科学者の間でも結論が出ていない、と信じている人が40%以上になるのだそうです。


こうした科学的根拠とは逆を行く考え方の原因は、ブロゴスフィア(ブログによって作られるコミュニティ)に氾濫する根も葉もない極端な論議や疑わしい諸説によるのではないか、とMaibach氏は話しています。

(アメリカでは、ゲイカップルの結婚を認める最高裁の判決があったことを神がお怒りで異常気象になっている、と本気で信じている人も結構いるくらいです…。)


人間は本来、「少数派の意見を過度に信じたがる傾向」があるのだそうです。

科学的根拠よりも、極端な意見や、信憑性の疑わしい説に影響を受けやすいこの傾向は、人間の弱点でもあると言われています。



ただ、実際に気候変動が起きているということだけは、大半の人が信じている、という結果も出ていたので、自分が体感できる事実は受け入れる、というところがあるのも人間の特徴かもしれませんね。


正しい情報を見極めて、考察することを意識していないと、知らぬ間に突拍子もないことを信じている自分に気付くことになるのかもしれません…


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2012年10月14日 (日)

森口氏のニュースに煽られる恐怖心

京大の山中教授がノーベル賞を受賞したニュースで沸く中、突如現れた森口氏の記事が気になり、時々日本のニュースチェックしていました。

この森口氏の話
すところを聞いていると、こちらまでバツの悪いような、居心地の悪いような気持ちになってきます

一連の騒動の最初の頃、ハーバード大の倫理委員会から承認も受けている、証明する用紙も簡易のものならある、と言ってたのを聞いて、私まで、自分の研究を承認する大学の倫理委員会の用紙がきちんと保管されているか急に心配になったほどです。

ちゃんと正規の承認用紙
がありましたので勿論ですが「まーそうだよねえ…。」と安心しました。(倫理員会に研究の承認を提出した記事も以前ブログに書いていましたね。)

なぜ私まで焦るのか意味が不明ですが…。(何となくこの人の話し方がそうさせているような…sweat01

恐らく、長い博士課程生活で散々言われてきた、「倫理委員会の承認の手順をきちんと踏まなければ、折角の研究も無効になる、論文の盗用は重罪である、これらを誤るとキャリアがなくなると思え」というようなことが、今までは現実味のない単なるイメージとして、「ひー怖いなー」と思っていたのがここきて実際にそれをしなかったらどうなるかを目の当たりにしたことで、一気に恐怖心が掻き立てられているのかもしれません…。

それにしても、一体どうやって長年研究者として、厳しい専門家の目をかいくぐって論文を発表したり学会に参加したりできたのだろう?と不思議な気もしていました。

と言うのも、名のある学術誌で論文を発表するためには、書いた論文をその分野ではそれなりに名のある研究者(だいたい2~3名)にチェックをされてOKが出ないといけないからです。(学術誌によっては、レビュアーの一人が博士課程に在籍している学生だったりもするので[そういう私もレビュアーの一人]、必ずしもレビュアーがゲートキーパーの役割を果たせているとは言えない部分もありますが。それにしても

学会での発表も、学会プロポーザルを提出してレビュアーから合格もらわなければできません。


そう疑問に思っていると、今日の(渦中の)読売新聞の記事で、研究論文の多くが簡易論文で、学会
での発表もポスターによるものだった、というのを見つけて、なるほどね…と納得しました。

もし正規の論文であれば、レビュアー却下されていたのだろうと思います。それにしても、iPS細胞の臨床応用のような、ホットトピックに関する研究で、正規の論文を出さないと言うこと自体が既に腑に落ちないですね。

学会発表方も、
読売新聞
の記事にも書いてあるように、学会の発表には、ポスター発表と口頭発表の2種類があり、聴衆の前でプレゼンする口頭発表に比べて、ポスター発表は敷居が低い傾向にあります。

ポスター発表では、実際の研究成果が出る途中の段階の発表もできたり、研究の前段階のセオリーに関して発表ができたりもします。

ところで、財布を忘れたうちの旦那さんは、今回シアトルの学会で口頭発表をする予定になっています(発表は明日。(ちょっと自慢catface

私自身は、今のところ毎回ポスター発表
ばかり…。まだ本格的な研究をしたことがないのでそれも致し方ないんですけどね(今博士論文の研究中なので、その結果をいつか口頭発表できればいいんですが…)。

何はともあれ、
地道にコツコツと進むのが一番だということを、ひしひしと感じさせる今回のニュースでした…。

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2012年8月15日 (水)

カルシウムを取りすぎると思わぬ危険が?

今週の月曜日、車の中で聞いてたNPRというラジオ(日本のNHKに近い感じのラジオ局)で、"カルシウムは身体に良いと思いますよね。では、カルシウムは取れば取るほど身体に良いのでしょうか?この答えは20分後に!"という番宣の文句を耳にしました。

その答えが気になるあまり、20分後には車から降りていたのに、わざわざ家のラジオを付けて(←番宣の思うツボ)聞いてしまいました。

それによると…、

まず、50歳以下の男女の取るべき1日のカルシウム摂取量は1,000mg。女性の場合は更年期の開始以降、男性の場合は70歳以上になると1,200mgを毎日摂取することが望ましいようです。(National Institutes of Healthからの情報)

アメリカのように、"more" is "better"(多ければ多いほど良い)と思う傾向のある文化においては、「それなら2,000mg取ればもっと良いってこと?」と思ってしまうかもしれません。

が、これには、Dr.Siris (The Toni Stabile Osteoprosis Center at Columbia University Medical Center の所長)が、必ずしもそうではない、と警告しています。

"You need enough; you don't need extra. "
(十分な量が必要ですが、それ以上は必要ではありません。)
とDr.Sirisは言います。

必要以上にカルシウムを取りすぎると、腎結石(Kidney stone)を引き起こす危険があります。それと言うのも、身体は普通、一度に600mgのカルシウムを処理することしかできないからです。そのため血液の中に溜まったカルシウムが腎臓に排出され、結石となってしまうのです。

腎結石のリスクは以前から言われていたようですが、最近いくつかの研究が、カルシウムの取りすぎによる冠動脈硬化や、心臓発作のリスクについても報告しているようです。

コロラド大学のEckel医師(元アメリカ心臓協会会長)は、この分野の研究はまだまだ始まったばかりで、確信を持って言うにはもっと色々な研究が必要だ、と釘を刺しながらも、処方箋なしで自己判断で摂取するカルシウムサプリメントには注意が必要だと警告しています。

Eckel医師は、自己判断でカルシウムサプリメントを摂取するより、"Eat more calcium-rich foods."(カルシウムの豊富に含まれる食品をもっと食べる)ことを勧めています。

例えば、コップ1杯のミルクには300mgのカルシウムが、(アメリカサイズの)1人分のヨーグルトには200~300mg、2~3オンス(約60mlほど?)のチーズにも200~300mgのカルシウムが含まれます。これだけでほぼ1日の必要量を賄えることになります。

乳製品を食べない人でも、ブロッコリーやチンゲン菜、イチジク、オレンジ、サーモン、イワシ、豆乳などにもカルシウムが含まれているので、食べ物から1日に必要な摂取量を十分に賄えるはずだ、というのです。

このNPRの番組をこちらのウェブサイトでも聴く事ができます。

この番組が気になった訳は、実は私自身、Citracalというカルシウムが500mgとビタミンDが400IU入ったサプリメントを毎日飲んでいたからです。

これは、バセドウ病がピークの頃、インド人の主治医から飲むように勧められたためです。(バセドウ病があると、カルシウム不足になるため。)

ところが、バセドウの治療が進み落ち着いてきたので、主治医に「カルシウムのサプリメントを取る必要はもうないのでしょうか?」と尋ねたところ、

「カルシウムのサプリメント?何それ?」

という返事が…。(おーい!


「以前、Citracalを飲むように言われましたよね?」と確認すると、

「あー、そうだったっけ?何ミリグラム飲んでるの?」

「500mgですが…」(それもあなたの指示通りですけど…)

「まー、取りすぎて悪いことはないし、特に女性はね、カルシウム取っとくにこしたことはないよ。飲み続ければ~?」と軽~い調子で言われたのでした…。


今回、このNPRの番組を聴きながら、

あの医者の言ってたんと全然ちがうやないのー!と思わず叫びそうになりました。

もし腎結石とか心臓発作になったらあの医者のせいだ…と思いながらも、どこか憎めない人の良さのあるお医者さんなので、いつまでもお世話になり続けているんですけどね・・・。


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2012年7月 8日 (日)

福島第一の事故調報告-アメリカの報道は?

福島第一原発事故の、国会事故調査委員会の最終報告書に、日本文化に根ざした体制のあり方が事故を拡大した、という記述があったことに関して、海外メディアで波紋を呼んでいるようです。


アメリカではどのように報道されていたか、CNNのニュースをこちらにご紹介します。

(ちなみに、CNNは割とリベラルな局なので、別の局ではまた違った報道がされているかもしれません)

「Click to play」のボタンを押すと、短いCMの後ニュース動画が流れます。


このニュースをざっくりとまとめて訳しますと…


スカイプでレポートしているのは、外交関係学会?の日本学の上級研究員であるシーラ・スミスさんです。

 

まずCNNのキャスターが

「日本文化を指摘した事故調の最終報告書を読んだ時、どう思いましたか?」

とたずねています。


スミス:

「原発産業の運営や規制に関して悪いことを割りとはっきりと書いてあったのでびっくりしました。

注目すべきは、この報告書が日本国民全体を意識した内容になっている点です。

駄目なことは駄目とはっきり言うことは日本国民の責任だ、と黒川氏は言っています。

また、Cultural reflexive obedience―これは面白い言葉ですね―についても指摘しています。

それは、日本における、目上の人や上司に反論したり、官僚的体制に反論することを良しとしない文化のことを指しています。もし上司やリーダーが間違ったことをしていると分かっていても、それを指摘できない風土があるのです。

それを指摘したという点で、この報告書は挑発的なものだといえるでしょう。」

 

CNNのキャスター:

「この報告書は多くの日本人の反発を買うと思いますか?これが日本流のやり方だ、日本文化の良いところだ― 今回の大災害の後でも、長い列を作ってじっと待っていたりと言ったモラルの良さにも見られるように―、と言いたい人もいると思いますが。」

 

スミス:

「どの文化にも良い面と悪い面があります。我慢強さやストイックであることが日本の良さでもあるわけです。日本は長い自然災害との歴史を通して、とても上手に自然災害と向き合うことの出来る社会を作って来ました。(人々は緊急事態にもとても我慢強くモラルを持って対応します)。それはとても素晴らしいことです。

けれど皮肉にも、技術的に最も進歩していて、文化的にも自然災害から社会を守る必要を一番知っていた日本が、原子力の問題に関しては、それを防ぐことができなかった。」

 

CNNキャスター:

「それは、権威のある者(上の者)に疑問をぶつけない、そういう文化的側面によるものだと思いますか?」

 

スミス:

「その文化も変わってきています。この報告書こそが、日本国内で沸き起こっている議論を物語っています。

この報告書には二つの要素があります。一つは原子力。戦後日本では、原子力に関する物事が厳重に保護されてきました。そうして原発への安全神話が確立されてきたわけです。その中で日本国民が原発産業について考えることから取り残されてきた、という深い罪の自覚があります。

そしてもう一つは、現代の日本に存在する活発な一般市民。この報告書は、そうした(活発に現体制に意見を述べる)一般市民を意識して書かれていると思います。」

 

CNNキャスター:

「世界の他の国々もこの報告書を読むべきでしょうか?原発を規制している人々が原発を推進している人々である現状なわけですからね。」

 

スミス:

「読むべきです。この報告書は、日本のみならず、原発を保有する全ての国で読まれるべきものです。原発にもしものことが起こった時、または起こらないように最悪に事態を防ぐために、どのような体制を持って原発を運営していくべきか、原子力社会に生きる全ての者にとって、これは難しい課題です。」


意訳も多いですが、ざっとこんなことを話しています。

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2012年6月11日 (月)

原発問題を考えたいけれど

最近日本では、大飯原発3,4号機の再稼動問題が話題になっていました。


野田首相が「私の責任で最終決断したい」と発言していましたね。


原発問題を考えようとする時、その論点の多さと絡み合い方がとても複雑で、途中で考えるのを諦めたくなるほどです。

(自分の意見として「賛成・反対」ということは難しくないのですが、全体の問題を考えようとする時にぐちゃぐちゃっとしているなーと感じてしまいます。)


問題として取り上げられるポイントは大きく5つあるように思います。


1.政治的な議論(政治的戦略)
2.原発のある地元経済への影響
3.日本経済への影響
4.安全性(福島事故を含む)
5.エネルギー資源としての原発


政治的な議論に関しては、主に今回の大飯原発再稼動に関わっていますね。


大飯原発再稼動と原発自体の是非を問う議論が絡み合うことを批判する人もいますが、この二つが絡み合うのは理解ができることかな、と思います。
特に、原発自体の是非を問う議論の中心に「安全性」がある以上、その安全性のために運転を停止している原発を、安全性があやふやなまま再稼動させる、というのは、(そうした政治的体制のもと)原発を使うこと自体が危険だ、という議論になるのも当然です。


そもそも現在、全原発が運転停止をしているのは安全性を優先するため、菅前総理大臣が決めたストレステストに関わってです。


ここで一つ問題になるのが、電力会社の実施するストレステストがどれほど信頼性があるか、不確かであるということ。

その上、そのテストも今は簡易版を用いており、沢山の可能性(福島で起きたような水素爆発、電源喪失時のベント操作、テロが起きた場合など)が考慮されていないという点です。


原発には「想定外」があってはならない、というのは今回の福島の事故で身を持って学んだはずです。(もちろん、全ての可能性を100%想定することは不可能です、だから原発自体の安全性が疑問になってくるわけですね。)


そしてまた、福島事故でその体制のずさんさを露見させた原子力安全委員会にかわる原子力規制庁もまだ発足しておらず、今の安全基準は原子力規制庁ができるまでの暫定基準と言っている点も、安全性をますます疑問視させる一因になっています。


今回の大飯原発再稼動問題においては、安全性を優先する、と言っていた野田政権が「電力需給が逼迫する」と電力需給の厳しさを前面に押し出すようになりました。


その議論の裏づけになっているのが、電力会社の公表した需給見通しですが(猛暑の場合、関西電力管内で16.3%不足する見込み、と言われています)、そもそも電力会社にこの見通しを出させることが妥当かどうか疑問があります。(利益を得る立場にいるものが、評価をする立場になるのは避けるべきです)


実際、この公表値を疑問視する声が多いため、第三者委員会に検証作業を頼み、それでも大幅な変化はないだろう、と言われているようですが…。


ここに絡んでくるのが、もし停電が起きれば、「社会的に大混乱する」という議論です。

この議論の信憑性も疑わしいように感じます。発電全体への原発の割合が20~30%ほどだとして、社会的大混乱にまで発展するのかどうか…という気もします。

どちらかと言えば、「社会」ではなく、大きな工場設備を持つ企業などが大混乱するのでは、と思います。(停電の可能性があること自体が企業にとってはリスクになります)

ここまで書いていて、頭がぐるぐるwobblyしてきました…

分からないことがあり過ぎて、考えようとすると目が回るような気分になります…。

エネルギー資源としての原発を考える時、現在ある他のエネルギー資源と比較され、大気汚染の面でも(温暖化を食い止める面でも)、コストの面でも、廃棄物の面でも(量だけに限って)、優れている、と語られることが多いですね。燃料のリサイクルをすれば、枯れることなく永久に使える資源だとも言われています。

ただ原発の場合、廃棄物の処理の仕方に問題が残っているのが難点として取り上げられています。つまり、廃棄物を無毒化する方法がまだ見つかっていないのですね。その上、廃棄物に含まれる放射性物質の半減期が途方もなく長いことは、福島の事故に関連したニュースなどで耳にした通りです。(例えば、廃棄物に含まれるNeptunium-237は半減期が200万年、プルトニウムー239は2万4千年です)

こうした廃棄物が日々作り出されているということが、原発を倫理的に問題視させる所以の一つです。(また原発そのものから放射性物質が微量ながら拡散されるというのも耳にする議論ですね)

廃棄物を無毒化する方法はいずれ開発されるかもしれません(されないかもしれません)。

原発の使用をなくすことが、原子力に関する開発の終わりだ、というような議論もありますが、原子力に関する研究は原発の有無に関わらず続けられると個人的には思います。



それほどまでに魅力的なエネルギー資源なら、研究・開発は続けられるように思います。将来的には、考えもしなかったような方法で原子力を用いるようなシステムが出てくるのかもしれません(宇宙に発電所を作るとか、廃棄物を宇宙に飛ばすとか…?)。それとも、100年後くらいには、「ひどいものをつかってたもんだ」と笑われることになるのかも分かりません。全く考えも及ばなかったエネルギーの開発がされるような気もします。(昔の人が電話なんて考えもしなかったように、私達の想像では届かないような何かがあるのかもしれません)

少し強引な議論ですが、もし原発が倫理的に使用してはならないものだと仮定して考えると(どう倫理的に駄目なのか、と聞かれるとうまく言えないのですが、自分たちの手で後始末をできないこと、自分達の世代以降、何百万年と有害な廃棄物を環境に残す点、そして事故が起きた時の代償の高さ、などでしょうか)、経済と原発の問題に関しては、何となくアメリカの奴隷制度を思い起こさせます。

南北戦争の起きた背景に、急速な工業化の進む北部が流動的労働力を必要としていたことと、ヨーロッパ製の工業製品に対抗するために保護貿易を求めていたのに対して、南部ではプランテーション経済が盛んでヨーロッパに輸出した綿花でかなり利益をあげていたため、自由貿易を望んでいたことがあります。
そして、そのプランテーション農業は黒人奴隷によって支えられていました。

それまで「個人の私有財産」だった奴隷を急に失っては、南部の綿花プランテーションは大打撃になるわけです。奴隷解放は、それはそれはたまったもんじゃなかったはずです。


でも、現代を生きる私達から見れば、黒人を「奴隷」として使用することは倫理的にあってはならないことで、誰かの損になろうが知ったこっちゃない、それは何があっても認められることではない、と知っています。

もちろん、現在原発の建っている地元の方の生活が、原発がなくなることで打撃をうけるのを知ったこっちゃないと見捨てればいい、というのではありません。(何かしらのサポートは必要かなと思います)

これから原発に関連したどのような新技術がいつできるのか私には分かりませんが(いつか廃棄物が全て無毒化されるかもしれないとしても)、動くプレートの上に載った小さな島国の日本に原発を持つということは、リスクが高すぎると思います。

原発問題を考えようとすると、その論点の多さと絡み合い方がとても複雑で目が回ります。


今日は、ここに書きながら考えてみましたが、書いてる間から、大飯原発問題と原発問題との間を行ったり来たりして、話があちこちへ行きながらまとまりがついていません…。

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2012年5月24日 (木)

大阪の入れ墨調査、様々な論点が絡み…

読売新聞のサイトから、5月24日付けのニュースでこんなのがありました。


「大阪市が全職員に実施した入れ墨調査で、市は調査への回答を拒否する職員に対し、職務命令違反を理由として減給か戒告の懲戒処分にすることを決めた。」



少し前からたびたびニュースで話題になっていることですが、大阪市が市の職員に入れ墨をしているかどうか調査しているんですね。


Osakairezumi(これが実際の入れ墨調査票です)

市人事室によると、約3万3500人を対象に行った調査で、110人が入れ墨をしていると回答。未回答の513人には23日までに答えるよう求 めたが、「思想信条の自由を侵す」などとして、拒否を続ける職員が出ているという。」


入れ墨に対する考えや意見は人それぞれ色々あると思いますが、またそれを見る側にも、不快に思ったり怖いと感じる人がいる場合もあるのかもしれませんが、これはそのそれぞれの主観に関する問題を、(職場?で)権力を持つ側(トップ)がどこまで介入するべきか、というのが一つの大きな論点になっています。


5月23日付けの朝日新聞のサイトにはこんな記事が載っています。



大阪市が教育委員会を除く全職員約3万4千人に入れ墨の有無を尋ねた調査について、市労働組合連合会(市労連)の弁護団は22日、職員への人権侵害にあたるおそれがあるとして、市を提訴する検討を始めた。

 調査は、手足や頭部など「業務中に市民の目に触れる可能性がある部分」の入れ墨については記名式の調査票で回答を義務づけ、その他の部分は任意で答えるよう求めた。橋下徹市長は、入れ墨があると答えた職員の配置転換や、調査を拒否した職員を昇進させない方針を示している。弁護団によると、市の方針を受 け、複数の職員から相談があったという。

 弁護団は22日、会議を開いて対応を協議。北本修二弁護士は終了後、「体の見えない部分のことを聞くのは明らかに問題。ファッションのタトゥーと威圧感 を与える入れ墨を同列に扱うのもおかしい」と主張し、市の調査は職員のプライバシーを侵害しているおそれがあると指摘した。




朝日新聞の記事を読むと、入れ墨に関する認識の個人差も論点になってくるように思います。



アメリカに住んでいると、入れ墨(タトゥー)に関する意識や感じ方がすっかり柔軟になってしまいがちですが、日本では「威圧感を与えるもの」として入れ墨を認識しているグループと、完全にファッションとして認識している人と、はっきり分かれるのかもしれません。


私個人的には、何かを肌に刺すというのがとっても苦手なので、注射も含めてできれば避けて生きていきたいタイプですが(ピアスもしていないくらい)、博士課程にいる友達でも(若くない友だちでも)、抵抗なくタトゥーをしている人は多いです。私もそれを見て、友だちに対する認識や評価が変わることもないですし、特に何も反応する対象にはなってはいません(ピアスと同じ感覚です)。


日本では、また別のタトゥーの歴史?が関わってくるので、個人的感情や偏見が強くなりやすいのかもしれませんが。


この入れ墨問題に関する論点には、「公務員が入れ墨をしてもよいのか」というのも含まれているようです。


この論点はとても日本らしいです。

「公務員たるものはこうあるべき」という議論が、その公務員の上に立つものがどこまで介入すべきか、という問題を見えにくくさせることがあります。


この問題には本当に沢山の異なる論点が詰まっていますね…。


公務員に対しての規制という点で、「公務員たるもの市民に不快感を与えるようなことは慎むべき」という論点は理解できなくはないですが(しかしこの場合、実際どれくらいの市民がどの程度の不快や威圧感を感じているか、しっかりとした統計学的に根拠のある調査も必要だと思います、そうでなければ個人の主観による意見を押し付けるのと変わりがなくなります)、入れ墨の可否を政治(または、より権力を持った人)が一方的に決めるという点に関しては、少し論点がずれているのかな、という気がします。


個人的に入れ墨は悪いものだと思う、と信じるのは自由です。


けれど、入れ墨は悪、と政治や権力を持った人が(ほぼ独断的に)決める、と言うのは、より多くの人が洗脳的に影響される危険性も考えると(それに加えて、ある特定の文化を一方的に集団的に[政治的に]否定するという行為自体が倫理的に許されることではないことも考えると)、これはかなりデリケートな問題だと思います。


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